陸奥北部の支配者としての南部氏の歴史は古い。源義家の弟新羅三郎義光の孫と伝わる南部光行が源頼朝の側近となり、陸奥最北端の地を賜ったという。以来二十六代の信直に至るまで、四百年近い時を経ている。
室町時代の南部氏の様子についてはよくわからない。中央から遠く離れた地で細々と領主権を保っていた地方豪族にすぎなかったのだろう。その微弱な存在だった南部氏を近世大名に導いたのが信直である。
信直は嫡流(ちゃくりゅう)ではなかった。二十四代晴政(はるまさ)の甥で、娘婿だった。だが、晴政の嫡子の晴継(はるつぐ)が跡を継いでまもなく夭折(ようせつ)してしまったので、二十六代目が転がり込んできたのである。そして、南部氏はこの幸運の当主信直のおかげで発展する。
信直は、中央の情勢をしっかりとつかんだ。そして、小田原陣に赴き、豊臣秀吉に拝謁した。秀吉はこの陸奥最北の、いまだ発展途上の戦国大名に七郡を安堵してくれた。
また信直は、秀吉の存生中から家康に接近した。かくして盛岡十万石の基礎がしっかりと築かれたのであった。
【八戸直栄宛「書状」】
上方衆遠国をとかくなぶり候、・・・朝夕気遣ひ 苦労推量あるべく候【法名】常住院殿光録大夫江山心会
【墓所】青森県三戸郡南部町 三光寺
家紋【丸に向かい鶴胸に九曜】<右>【割菱】<左>
先祖は割菱紋を使用していたが、応永18年、合戦での勝利を記念して、九曜鶴紋をしようするようになったという。また、九曜・鶴紋は別個の紋として使用していたものらしい。

南部信直の家紋
【メタリィフ押箔】
【信直軍旗】
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